心を扱うには身体を扱う

心と身体は本来ひとつ「心身一如」

というけど、、ホントの意味からして

それらが一体である感覚に乏しい。


なぜなら、、

基本的にそれらは“分離”したものとして

認識されている。

“心”と“身体”と別々な“名前”がつけられて

いるってことは、別なモノとしているって

ことでもあるから。

これが“定義づけ”というもの。


この“定義づけ”が変わらない限り、心と

身体を一つにするということは難しい

かもしれない。


なので、この定義づけを変えるのが

“氣”という概念。

これを基に、体験レベルで氣が満ちる

状態を心身に織り込んでいく。


氣が満ちる状態を丁寧に自分でとらえ

ていくこと。

それによって、言葉が本来の機能をより

深くしていくことが可能になっていく。


詳しくはまたの機会に。。






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